収蔵資料

収蔵資料紹介

東京都水道歴史館では、江戸時代の水道の記録『上水記』(東京都指定有形文化財[古文書])をはじめとした貴重な水道に関する資料を保存・公開しています。

『上水記』(じょうすいき)<東京都指定有形文化財(古文書)>

『上水記』は、玉川上水開削から137年後の寛政三年(1791)、幕府普請奉行上水方石野広通(いしのひろみち)によってつくられた、江戸上水の公式記録(主として、当時稼働していた神田上水・玉川上水の記録)です。天明八年(1788)に起稿し、3年がかりで3部が作成されました。
和綴じの冊子で10巻の構成となっており、1部は時の将軍11代家斉に献上し(国立公文書館内閣文庫蔵・欠本あり)、 もう1部は老中松平定信に進呈(所在不明)、残りの1部が上水方役所の保存用に置かれ「上水方のみちしるべ」にしたと伝えられています。
明治維新後、上水の管理が明治政府、東京府に移管されるにあたり、上水方の『上水記』は東京府土木課から水道局に引き継がれ、現在、東京都水道歴史館に保管されています。貴重な江戸の上水史料として、昭和五十二年(1977)に東京都指定有形文化財(古文書)の指定を受けました。
当館では年1回、秋の「東京文化財ウィーク」に合わせて「上水記展」を開催し、公開しています。

木樋(もくひ・きどい)<千代田区丸の内三丁目遺跡出土・東京都教育委員会所蔵>

江戸時代に使われた木製の水道管です。現在の有楽町、東京国際フォーラム付近にあった阿波徳島藩蜂須賀家(あわとくしまはんはちすかけ)上屋敷跡から出土しました。
この木樋は屋敷内を走っていた溝を横断するために、「伏越し」(ふせごし・潜樋とも)と呼ばれる方法で設置されていました。溝を潜る部分の木樋の蓋は水が漏れないように一枚板が使用され、和釘によってしっかりとつなぎ合わされています。流路の樋の接続部分には、組み合わせる木樋同士がわかるように蓋に絵印の刻みを入れるなど、江戸時代の人々の知恵と工夫の跡をみることができます。

共用栓(きょうようせん)と消火栓(しょうかせん)

近代水道が開通すると、それまでの上水井戸に替わり、水圧のかかった水を手元で得ることのできる「水栓」(蛇口)が設けられました。しかし多くの家庭では専用の水栓(専用栓)を引くことができなかったため、複数の家庭で共同で使う「共用栓」が各所に設置されました。
東京の初期の共用栓は水の出口に竜がかたどられていることから「蛇体鉄柱式共用栓」(じゃたいてっちゅうしききょうようせん)と呼ばれ、これが「蛇口」の語源になったとも言われています。利用者は側面にある穴に鍵を差し込んで水を出す仕組みになっていました。
近代水道の重要な役割の一つに火災の消火があります。そのために設けられたのが「消火栓」で、明治44年までに市内に4,600個が設置されました。

馬水槽(ばすいそう)関連資料

明治時代、市電や自動車の普及する以前に交通・輸送手段として馬や牛が活躍していました。馬水槽は彼らが水を飲むために設置された水飲み場です。水道歴史館に展示されている馬水槽(模型)は、明治39年(1906)にイギリス・ロンドン水槽協会(The Metropolitan Cattle Trough & Drinking Fountain Association,London、直訳すると「ロンドン市牛用水槽・飲用噴水盤協会」)から当時の東京市に寄贈されたものです。一説には、当時来日した英国人が東京の路上で水の飲めない馬を見て、同情して母国にこれを伝えたことがきっかけとなって贈られた、と言われています。
当初、千代田区丸の内の現在の三菱一号館の側、馬場先通り沿いに設置されましたが、大正時代に鍛冶橋の水道局庁舎近くに移転、その後昭和32年に淀橋浄水場構内に移されました。淀橋浄水場閉庁後は新宿駅東口に設置され、現在も現地で見ることができます。東京都水道歴史館には、寄贈・設置された際の見取図や写真が保存されています。

神田上水の石樋(せきひ・いしどい)

昭和60年(1985)、水道橋から外堀通りをお茶の水へ上る道路の下から、石組みの水路が発見されました。その後の発掘調査によって、これは神田上水の石組みの地下水路、すなわち石樋であることがわかったのです。石樋は安山岩で構築され、幅は下部内法12㎝・上部内法150㎝、深さは120㎝~150㎝もあります。江戸上水では木樋が多く使われますが、水量の多い上流部分ではこのような石樋が使われていました。
『上水記』の樋線図には「万年石樋」と記され、神田上水が掛樋で神田川を渡る直前の水路であったことがわかります。石樋は発掘調査ののち、東京都水道歴史館裏手の本郷給水所公苑内に移築復元されました。現在は地表から見えていますが、元々は全体に蓋があり、地下水路になっていました。

水道鉄管

近代水道の水道管には鉄管が用いられました。初期の鉄管は鋳鉄製でベルギーやイギリスからの輸入品が使われました。その後国産化が進み、素材も高級鋳鉄やダクタイル鋳鉄といった丈夫な素材に切り替わりました。継手(管のつなぎ目)の部分も、初期には印籠継手と呼ばれ、麻縄と鉛を使って防水する方法が用いられましたが、現在ではゴムやネジが使われ、地震の際も抜けないような工夫(耐震継手)がなされています。
水道歴史館では明治時代から現代までの鉄管の実物や、都内最大径(直径2.9m)の鋳鉄管の実物大模型を所蔵・公開しています。

デジタルアーカイブ

東京都水道歴史館で保存している古文書・古記録や絵図、写真などの貴重資料の画像閲覧サービスです。水道に関する資料約750点をデジタル化し公開しています。

【主な掲載物】
・古文書(上水記、羽村日誌等)
・古写真(ダム建設工事時の様子等、昔の水道関係の写真)
・絵図(樋線図(送水経路図)等)

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