上水記

『上水記』は、玉川上水開削から137年後の寛政三年(1791)徳川幕府普請奉行上水方石野遠江守広通によってつくられた、全10巻からなる江戸上水の幕府公式記録です。
当時、3部作成され、1部は時の将軍11代家斉に献上し(国立公文書館蔵 欠本あり)、もう1部は老中松平定信に進呈(所在不明)、残りの1部は上水方役所に置かれ「上水方のみちしるべ」にしたと伝えられています。明治維新により上水の管理も明治政府、東京府に移管され、上水方の『上水記』は東京府土木課から水道局に引き継がれ、現在、東京都水道歴史館に保管されています。
このコーナーでは江戸時代の上水道について知ることができる貴重な史料『上水記』をご紹介して行きます。
『上水記』は2巻の折り込み絵図を除き簿冊です。そのため、描かれた対象が見開きよりも表裏の関係で見た方が内容を把握しやすい絵図があります。絵図が表裏関係にある場合には絵図の間に余白を設けています。また、絵図の一部を拡大してご紹介しています。
■収蔵資料紹介『上水記』

○秋の特別企画展「上水記展」と「水道歴史展」10月末開催

『上水記』東京都指定有形文化財

神田上水御茶ノ水掛樋(上水記七)

水戸藩上屋敷(「水戸殿」の中を流れて来た神田上水が「大下水」と記された小石川を「掛ヶ樋」で渡っています。水源地より開渠であった神田上水は水戸藩邸を出ると暗渠となり、地中に埋設された「万年石樋」により水が送られました。ねずみ色で描かれている部分が「万年石樋」で、石樋は上水道専用の橋である御茶ノ水の「掛ヶ樋」へとつながります。掛樋の上流には「水道橋」が描かれています。神田上水の状態を監視する「見守番屋」が掛樋のたもとに記されています。神田川を掛樋で渡った神田上水は、対岸へ渡った後も暗渠のままで神田、日本橋方面へと水を送りました。

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